色彩のひみつ


カラーズオークションをお楽しみいただき、ありがとうございます。ここでは、絵画によく使われる代表的な色をご紹介していきます。画家がどんなこだわりをもって色を使っていたのか、そのエピソードをぜひお楽しみください。

ミュシャの「ピーチ」

アルフォンス・ミュシャ《四季 夏》1896年,ミュシャ美術館蔵.

本ゲームのコンポーネントは淡いピンクのグラデーションで統一されていますが、ゲームのアートワークを考える上で主役にした絵が、アルフォンス・ミュシャの『四季』より《夏》という作品でした。ミュシャの絵には、女性の肌や衣服にピーチの色がよく使われています。ロマンチックな印象や、快楽の象徴ともされるこの色は、19世紀からヨーロッパで流行した美術運動「アール・ヌーヴォー(新しい芸術)」によく登場します。花や植物をモチーフにした有機的な曲線美が特徴的で、画家たちの間で淡いピンクや赤などが流行していました。


多くの画家を虜にした、高価な青色「ウルトラマリン」

フェルメール《牛乳を注ぐ女》1658年,アムステルダム国立美術館蔵.

ウルトラマリンは、アフガニスタンの山で採れるラピスラズリを粉末にした顔料です。美しい青にするための加工に時間がかかることから、昔から高価な顔料として扱われていました。

オランダの画家ヨハネス・フェルメールは、この青色に魅せられ、大金を注ぎ込んだ結果破産したという逸話も残っています。「フェルメール・ブルー」とも呼ばれるこの青色は、彼の絵画に頻繁に登場し、《真珠の耳飾りの少女》のターバンや、《牛乳を注ぐ女》の衣服など、彼の家で働くメイドを描く際に使われました。

さかのぼること14世紀から、ウルトラマリンは画家たちにとって貴重な色であり、法外な値付けがされていました。イタリアの画家たちは、宗教画、とくに聖母マリアを描くときだけにこの顔料を大事に取っていたと言われています。そのため、「マリアン・ブルー」という名でも呼ばれていました。ゲームにも登場するイル・サッソフェッラートのマリアの衣にも、この色が使われています。

イル・サッソフェラート《祈る聖母、その先にある風景》


偶然から生まれた黄色「インディアン・イエロー」

フェルメール《真珠の耳飾りの少女》1665年,マウリッツハイス美術館蔵.

ウルトラマリンが高価な顔料であるのとは対照的に、インディアン・イエローは牛の尿を原料として安価に手に入るため、多くの画家に愛用されていました。《真珠の耳飾りの少女》の衣服の黄色としても使われています。

15世紀にインドでつくられ、17世紀にヨーロッパに広がったこの顔料は、鮮やかさと色落ちしにくさが特徴的で、画家たちにとって使いやすい色のひとつでした。しかし、原料が牛の尿だということがわかると、牛への残虐行為にあたるとして突然市場から姿を消してしまいました。フェルメールの他に、イギリスの画家ウィリアム・ターナーも好んで使っていたことから、「ターナーのイエロー」とも呼ばれています。


危険をはらむ美しい白「リード・ホワイト」

フェルメール《青衣の女》1664年,アムステルダム国立美術館蔵.

リード・ホワイト(鉛白)は4世紀からアナトリア人によってつくられ、土器の中に鉛と酢を混ぜて動物の糞でフタをすることで生まれた顔料でした。この生産の過程で有害な物質となり、危険な顔料として19世紀には使用が禁止されるほどでした。

16世紀のエリザベス朝の時代には、女性が顔を白く見せるために化粧品としてこの鉛白が流行しましたが、体や神経に障害をきたすため、美と引き換えに危険をはらむ顔料として問題視されていました。

フェルメールやレンブラントは、人の肌の色やドレスといった衣装にこの色を使い、絵に透明感と優雅さを演出するなど、画家にも人気の顔料として愛用されていました。19世紀には、リード・ホワイトを再現した安全な合成顔料が誕生し、今でも人気の色として利用されています。

作者不詳《エリザベス1世》1588年,ロンドンポートレートギャラリー.

参考文献:ローラ・ペーリマン『カラーバイブル-世界のアート&デザインに学ぶ色彩の歴史と事例100』青幻社,2022年.